
被爆ピアノや被爆樹木、慰霊碑などニュースで取り上げるたびに興味を持って
見ていたのですが、これ程の建物が残っていることを最近まで知りませんでした。
広島で生まれ育った方々には、よく知られていることなのでしょうね。
実際に見て触れなければ、被爆の惨状は感じ取れませんね。
ここ広島で暮らしているのだから、遺されているものがどういうものなのか
「知ろうという気持ち」は持ち続けようと思います。
旧広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)


この建物のことを知ったのは次のようなニュースからでした。
耐震強度が不十分であり、維持管理のための財源が確保でないという理由から、4棟のうちの3棟を管理する広島県は、1棟のみを残して残りの2棟を解体する方針をまとめました。また、国が管理する1棟も解体を視野に入れた検討がされていると報じられています。
中国新聞
被爆地広島を代表するものと言えば「原爆ドーム」。広島県産業奨励館として建てられた美しい建築物でした。戦後はいくどかの解体撤去の危機を乗り越え、被爆の惨状を伝えるモニュメントとなりました。
広島市街地を焼き尽くした原子爆弾の傷跡が明確に残っている建物はそう多くありません。
強烈な爆風を全身で受け止めた跡が残る建物がこの旧広島陸軍被服支廠です。

広島市南区出汐町には、1913年(大正2年)建造の大きな赤レンガ倉庫が4棟残っています。これは1907年(明治40年)から続く旧陸軍被服支廠(ひふくししょう)の一部で、1945年8月6日の原子爆弾投下を経験した被爆建物でもあります。この規模のレンガ造りの建物が残っているのは日本で唯一です。
引用:キャンペーン【現存する最大級の被爆建物・旧広島陸軍被服支廠倉庫を全棟保存してほしい】
その建物は、爆心地から東に2.7km離れた住宅地の中に、ひっそりと佇んでいました。
音速を超える爆風が西側の壁を叩き、公道に面した窓の頑丈な鋼鉄製の鎧戸は中心が凹んだ状態 で歪んでいます。
熱線と爆風がここまで来て鎧戸を大きく凹ませたのですね。
こんな大きな建物が普通の住宅街にあって、熱線・爆風の生々しい傷跡をとどめて現存していることに衝撃を受けました。
ここには修学旅行生も観光客もめったに訪れていませんが、被爆当時を静かに偲ぶなら、最もふさわしい場所だと思います。
この日は娘と自転車で向かいました。40分程でしょうか?いい運動です。滝汗(‘Д’)
資料館や展示物では得られないものを、娘も感じ取ったようでした。
そして今年、広島県が方針転換。


県が保有していた3棟の耐震化を表明しました。ほっとしました。
このひっそり佇む赤レンガ倉庫は物言わず語る被爆建物です。
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